都市の記号 定禅寺通りとせんだいメディアテーク

 建築家伊東豊雄による仙台メディアテークは、21世紀定禅寺の杜に忽然とその姿を現した。

 定禅寺とは、江戸時代に実在した寺の名前である。その名が通りとして残っている。1945年仙台空襲によって市街地は焦土と化した。定禅寺通りは、戦後の区画整理で片側三車線の大通りの両側に二列の欅並木と更に中央分離帯にも二列の並木、計横四列の並木が植樹され今では緑のドームを作り出している。全長800メートルに及ぶ定禅寺通りの欅並木は、戦後復興の象徴と呼んでもよいであろう。

 この中央分離帯の並木道を歩いていて抱く感覚は、場が醸し出すアジール性によるものではなかろうか。アジールとは、隠れ場や避難所を意味する。中世のカトリック教会や江戸時代の駆け込み寺がそれであるが、時代を経て消滅したとされる。しかし、定禅寺の杜は戦災を経て現代の都市に現れた数少ないアジール的空間と言えはしまいか。

 21世紀、グローバリゼーションとIT革命が全世界を覆う時代。地球上の多様な文化がフラット化し、異文化共存の媒介装置が悉く古臭くなってしまったかのようだ。本、新聞、フィルム写真---かつて主役だったアナログメディアが層をなして堆積した所にデジタル革命への意思表示としてメディアテークが定禅寺の杜に浮遊しているようにも見える。因みにテーク(theque)とはフランス語で棚の意味で、図書館、ギャラリー、シアター等、新旧多彩なメディアが館内に折り重なっている。

 伊東豊雄は、せんだいメディアテークで現代建築に大きな転換点を作り出したとされる。定禅寺の杜という所与の環境と呼応しながら、「建築と人間との関係に無限の可能性を与える」(伊藤)仕事は、近代からの脱構築を意味した。なにより、北方文化と南方文化の交差するこの都市のアジール的空間において、せんだいメディアテークが異文化を媒介する記号となることを願う。

2008年5月20日

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