モード論

  • 『鞄を持った女』(1962)ー イタリア映画に現れたトランクというオブジェ

     映画は、列車と並んでスポーツカーが疾駆するシーンから始まる。戦後イタリアの「経済の奇蹟」と呼ばれる好景気を背景としたひとりの女の物語である。映画の原題は、<<La ragazza con la valigia>>。「valigia」は、「鞄」と訳されている。小学館の伊...
  • 1968年の革命とモード ー 美の歴史について

     1968年の革命を通した消費社会の変質に機敏に対応し得たのは、東京の青山・原宿周辺で起業した零細のアパレルメーカーでした。マンションの一室で企画デザインしていたところから、マンションメーカーとも呼ばれた。だがこうした一群の零細メーカーの中から中堅企業へと成長したのは、極く稀であった。ある識者...
  • モードにおける色彩革命

     「黒の衝撃」と呼ばれる全身黒ずくめの穴あきのコレクションで川久保玲がパリのオートクチュールを震撼させたのは、1981年であった。モードの既存の記号をデザインと色彩においてズタズタに切り裂くファッションデザインにおけるひとつの事件であった。  このモードにおける色彩革命は、継続している。かつて...
  • 第5回 復興と再生のためのバッグ展 ルネサンスの美とクラフト的生産

    3・11大震災から5年、復興と再生への道はいまだ途上にあると言えましょう。復興と再生に向かって今年のテーマは、「ルネサンスの美とクラフト的生産」です。  14世紀に全ヨーロッパを襲ったペストは、全人口の25%から30%を超える人々を死に至らしめました。この悲劇によって人々は、生きることにかけが...
  • 第3回 復興と再生を担う女性のためのバッグ展 ルネサンス文化とデザイン

     2011年3月11日に起こった東日本大震災から三年が経ちました。2万人に及ぶ多数の死者と現在進行形の福島第一原発の事故は、被災三県のみならず全国の人々、更には人類の歴史に重い問いを投げ掛けています。復興と再生への途は、十年単位で考え、行動していかなければならないでしょう。  3回目を迎える...
  • VINTAGE展 プラートの繊維博物館を訪ねて

     イタリア中部のトスカーナ州プラートにある繊維博物館を訪ね企画展を見学した。「VINTAGE――生きることの抑えきれない魅惑」とは、15世紀のコスチュームの物語から始まるモードへのオマージュである。  プラートは、12世紀にさかのぼる毛織物製品の産地である。州都フィレンツェが14世紀後半には織...
  • アルティザンの記憶

     ヴェネト州ヴィチェンツァにあるDEL CONTE社を訪ね創業者のブルーノ・アヴェール(1957-)に取材した。彼は高校卒業後機械工として働き始めるが、バッグ職人への思いは止まず22歳でバッグ工房に転職する。5年ほどの修行の後、1984年27歳のときバッグメーカーを創業した。  ヴィチェンツァ...
  • 大震災からの復興と再生のためにファッションに何ができるのか?

     2011年3月11日東日本を襲った大地震と津波で死者と行方不明者の数は、2万人に及ぼうとしている。お亡くなりになられた方々には、深く御冥福をお祈りいたします。また福島の原子力発電所は、制御不能に陥り地域住民を放射能の危険にさらし続けている。この大震災からの復興を目指す過程でファッションに何...
  • ファクトリーブランド

     2009年9月上旬、夏の長いバカンスから明けたイタリアは秋へと向かって動き始めた。昨秋の金融恐慌から一年、活況を呈していたロシア向けの輸出も今ではすっかり停滞してしまった。イタリアファッションの最大顧客であるアメリカや日本にもかつての勢いはない。  訪問先の中小バッグメーカーの社長やセールス...
  • ボードリヤールの予言

     モノの背後には、うつろな人間関係があり、膨大な規模で動員された生産力と社会的力が物象化されて浮き彫りにされる。ある日突然、氾濫と解体の過程が始まり、1968年5月とおなじように、予測できないが確実なやりかたで、黒ミサならぬこの白いミサをぶち壊すのを待つことにしよう。(注1)  故ボードリヤー...
  • 都市の記号 定禅寺通りとせんだいメディアテーク

     建築家伊東豊雄による仙台メディアテークは、21世紀定禅寺の杜に忽然とその姿を現した。  定禅寺とは、江戸時代に実在した寺の名前である。その名が通りとして残っている。1945年仙台空襲によって市街地は焦土と化した。定禅寺通りは、戦後の区画整理で片側三車線の大通りの両側に二列の欅並木と更に中央分...
  • セレクトショップの編集コンセプト <35歳、自立、モード>

     1969 年パルコの創設者増田通二氏は、ファッションビル池袋パルコを開業する際、<21歳、OL、ファッション>というコンセプトでテナントを編集したという。ファッションビルという世界に類のない商業施設は、日本の消費社会が大きく変貌しようとするその前夜に誕生した。増田氏の慧眼には、脱帽する他ない...